コラム

2013年11月11日

子どもの心を開く

病的な症状や問題を引き起こしている子どもの心を開くには、北風ではなく太陽のような関わりが大事です。
太陽のような関わりって何でしょう?

それは
「子どもを許してあげる」
ことです。言い換えるなら、
「症状や問題を引き起こしたありのままの子どもを受け入れてあげる」
ことです。

例えば、子どもが万引きをしてしまったとしましょう。
万引きそのものは、社会的にも法的にも認められない行為です。
けれども、もし快活な心であれば万引きなどはしません。
万引きをせざるを得なかった子どもの心を見つめてあげることです。
その心に思いを馳せて、子どもをありのままに受け入れてあげるのです。

具体的にはこういうことです。
「万引きは絶対にダメやね」
「どのような理由があろうとも、自分のしたことに対しては責任をとらないといけないね」
と釘を刺しながらも、
「そうかあ、それは本当にしんどかったよね」
「万引きは絶対にあかんけど、どうしてもそうした気持ちにはなることがあるかもしれないね」
「こんなにしんどい気持ちの中で、本当によく頑張ってきたよね」
といったふうに、子どもの気持ちに共感し、認めてあげることです。

きちんと注意をして、けじめはつけなくてはいけない。
けれども、子どもを本当に救おうと思うなら、心の中の闇と葛藤している子どもの心を見つめてあげることです。
その精一杯の心を受け入れてあげることです。許してあげることです。
「やったことはダメでも、あなたという人間は受け入れているよ。許しているよ」
という思いが伝わったなら、それが子どもの心を開く第一歩となるのではないかと思います。

 


2013年11月11日

子どもの心を閉ざさない

子どもに心の問題が起きたとき、心を閉ざす二つの言葉があります。
「どうして?」
「こうしなさい」

この二つの言葉を絶対に言ってはいけないと言っているのでありません。
「子どもに言うとしたら、1~2回程度にしておいて下さいね」と言っているのです。

実際、子どもが何らかの問題を引き起こし、その理由がわからなければ「どうしてなの?」と訊ねるのは自然なことです。
それに対して、子どもが「~だから、しんどくなったの」と素直に答えてくれれば問題はありませんし、その理由に対してどのようにしていけばいいのかを一緒に考えていくといいでしょう。

しかし、「どうして?」と訊ねても子どもはその理由を答えないことも多々あります。
わかっていても、言いたくないこともあります。
あるいは、自分でもよくわからず、言葉にできないこともあります。
子どもというのは、思いを言葉にする力が未熟だったりするからです。

であるにもかかわらず、「どうしてなの?」「なんで?」と執拗に聞いてしまう親や大人がいます。
みなさんでも言いたくないことがあったり、自分でもよくわからないことがあったりしたときに「どうしてなの?」「なんで?」と何度も訊ねられると、どんな気持ちになるでしょう?
人によっては、気分がどんどんしんどくなってくるでしょう。
「もういや!」とヒステリックになる人もいるでしょう。
パニックになる人もいるかもしれません。
そうした状態に陥ってしまうのではないかなと思います。

また、「こうしなさい」と言われるのもしんどいですね。
「こうしなさい」と言われることは、大体の場合「そんなこと言われなくたってわかってる!」といった内容ですね。
わかっているけれど、できない。

にもかかわらず、一方的に「こうしなさい」と親の価値観を押し付けられるとつらいですね。
言われることを全部できるなら、誰だって聖人君子になれるんじゃないかなって思います。
でも、現実にはそうではありません。
頭ではわかっていても、心がついていかず、なかなか行動には移せないものです。

「こうしなさい」というよりも、どうしたらそれができるようになるのかを考えてあげることが大切なんですね。
子どもに求めるだけでなく、子どもが何とかできるように関わる側が工夫してあげることなんです。

「どうして?」
「こうしなさい」
この二つの言葉を子どもに執拗に言い続けるのはやめましょう。
関わる親や大人の不安や価値観をぶつけるのはやめましょう。
北風を吹かし続けると、子どもは心のコートを強く閉ざしてしまって、なかなか心を開かなくなってしまいます。
大切なのは、太陽のような関わりなんです。

 


2013年11月11日

思春期の心の問題はなぜ難しい?③

思春期の心の問題はなぜ難しいのでしょうか?

第3の質問は、
『子どもだけの問題と思っていませんか?
あるいは、親のせいだと思い過ぎていませんか?』
です。

この質問に対しては、
「子どもを責めても、自分を責めても問題は解決しませんよ」
ということを知ってほしいなと思います。

実際、親にはほとんど問題がないと思われるのに、子どもが問題を起こすこともあります。
逆に、確かに親の言動が大きく影響して、子どもの問題の要因の一端になっていることもあります。

いずれにせよ言えることは、
「問題というのは相手を責めても、自分を責めても解決しない」
ということです。
誰だって責められると、心を閉ざしがちになります。
閉ざされた心の中では、問題を解決する力は引き出されません。
だから、まず相手を責めるのも、自分を責めるのもやめることです。

一方、子どもに問題があるとき、親が自分のあり方を振り返ることはとてもいいことだと思います。
人の心は合わせ鏡のようなものです。
目の前のある人に問題が表れたとき、「自分の心にも何か問題がないだろうか」と振り返り、もし、「自分のこの心に問題があるのではないだろうか」と気付けたなら、目の前の人の問題が自ずと解決するということがよくあります。

ただ自分のあり方を振り返るときに、自分を責め過ぎてはダメですね。

自分に問題があったと思われるとき、子どもに対して素直に「ごめんね」と謝ることはいいことです。
ところが、人によっては「ごめんね。本当にごめんね。お母さんたちのせいであなたをこんなにしてしまって…。お母さんみたいな人のところに生まれてきて、本当にあなたはかわいそう。ごめんね」といった調子で、いつも謝っている親がいます。
過ちを素直に認めて謝るだけではなく、自己卑下をして、いつまでも謝り続けるのはよくありません。
親が子どもに謝る場合、心をこめて真剣に謝ったなら、1回で十分です。
必要以上に謝り過ぎないことです。

なぜなら、親が子どもに謝り過ぎていると、最初のうちは素直に「わかってくれたんだな」と思っていても、そのうちに「確かにお前らのせいで私は苦しんでいるんだ。一体、どうしてくれるんだ。私の人生の責任をとれ」といったような親を責めるような思いが引き出されることがあります。
最初に述べたように、親の影響はあったとしても、親のせいにばかりしていては、その子どもは立ち上がれません。
ですから、子どもの我を引き出すような謝り方をしてはいけません。

また、親が謝り過ぎて、自己否定する姿を見せ続けていると、子どもは自分の目指す大人としての自己イメージが描けなくなってきます。
子どもは成長するときにいろいろな大人、特に、親の姿を見ながら、将来の自己イメージを描くものです。
その親が自己否定し続けていると、子どもの心には不安だけが育ってしまい、立ち上がることができなくなってしまいます。

子どもに問題が起きたとき、いたずらにお互いに相手を責めない。
自分も責めないで、許してあげることです。
もし、親が子どもに影響を与えていたとしても、謝罪は1回で十分です。
いたずらに謝り続けるような態度をとらないことが大事なことではないかなと思います。

 


2013年11月11日

思春期の心の問題はなぜ難しい?②

思春期の心の問題はなぜ難しいのでしょうか?

第2の質問は、
『あなたは、原因を突き止めないと解決できないと思っていませんか?』
です。
これって実は、多くの人がおちいってしまう心の罠(わな)なんです。

思春期の子どもの場合、原因を問い詰めても本人自身も原因がよくわからないことがあります。
もちろん、言いたくなくて親には言わないこともあります。
ただ実際、本人にもよくわからないということがあるのです。

人は大人になるにつれて、いろいろな言葉や表現方法を学び、自分の気持ちを言語化できるようになります。
しかし、思春期の子どもの場合、この言語化能力が不十分で本人が「よくわからない」としか言いようのないことがあります。

本人が原因をはっきりと答えないからと言って、何度も問い詰めないことです。
原因分析し続けないことです。

原因分析について、もうひとつお話したいと思います。
人は何かに悩むと
“原因を見つけ、原因に対する対策をとると物事が解決する”
と学校教育を受けてきました。
しかし、こと心の問題においては、
『必ずしも原因を見つけなくても、問題は解決することがある』
ということを知っていただきたいと思います。

むしろ、原因分析しているときの自分自身を振り返ってみましょう。
考えても考えてもわからない原因について突き詰めて考えているうちに、あなたの心の中の不安や恐怖感、落ち込み、イライラは増大していないでしょうか?

そうなのです。
いつまでも原因分析を続けることは、不安や恐怖感、落ち込み、イライラを増大させる悪いメンタルトレーニングなのです。

いろいろと大変だけれども、原因分析をやめて、「しゃあない」とあきらめ、まずは現状を受け入れてほしいなと思います。
「しゃあない」と言えるようになったならば、少なくともあなた自身の心は落ち着きを取り戻すことができるはずです。

問題が起こったときには、すぐによくしようとするよりも、これ以上悪くしないことを目指すことです。
スタートはそこからです。

あなた自身の心を落ち着かせ、そして子どもの心を見つめましょう。
原因を見つけようとするよりも、
「子どもの心の奥にある主体性、すなわち、やる気をいかにして引き出すか?」
「いかにして子どもの心の奥の本当の自分に目覚めてもらうのか?」
子どもの心の奥にある愛と光を信じる視点から、考えていくことがとても大事なことです。

 


2013年11月11日

思春期の心の問題はなぜ難しい?①

思春期の心の問題はなぜ難しいのでしょうか?
この問いかけに答えるにあたって、3つの質問をしたいと思います。

第1の質問は、
『あなたは、思春期の子どもの症状や問題行動ばかりを見過ぎていませんか?』
ということです。

もし、子どもが不登校になったら、不登校という問題行動だけをみてしまって、何とか学校に行かせようということだけを考え過ぎていませんか?
もし、そうだとすると、「どうして学校に行かないの!」と問い詰めるでしょう。
朝、布団から出てこない子どもを無理やりに布団から引きずり出してでも学校に行かせようとするかもしれません。
そのように本人を追い詰めることによって、ときには学校に行くこともあるかもしれません。
しかし、現実はほとんどの場合、そうしたことをしても学校には行きません。

むしろイソップ寓話に出てくる『北風と太陽』のように、北風を強く吹かせれば吹かせるほどに子どもは心を閉ざし、引きこもってしまいます。
大事なのは、太陽のような関わりです。

不登校をしている子どもを、不登校をしている状態のままで温かく受け入れてあげることです。
症状や問題行動だけを見て子どもを判断するのではなく、症状や問題行動の背景にある思春期の心を見てあげることです。
「あなたは子どもが不登校になったとき、その不登校の子どもの目をじっと見つめることができますか?」
「その心を見つめようとすることができますか?」
心を見つめようとするならば、静かに、深く、その目をじっと見つめることができるはずです。

子どもだってバカではありません。
「学校に行かないのはよくないなあ」ってわかっています。
仮によくわかっていなかったとしても、1回言われたら十分にわかります。
ですから、何度も同じことを注意したり、怒ったりする必要はありません。
説教は一度で十分です。

思春期の子どもが症状や問題行動を起こしたとき、一度は注意してみてもいいと思います。
でも、それでも変わらないのであれば大事なのは、
「症状や問題行動を起こさざるを得なかったその心を見つめる」
ことです。
さらに、
「その心の奥にあるダイヤモンドの心を信じてあげる」
ことです。

 


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療