いずみハートクリニック

コラム

2013年11月11日

医療者の心を守る⑦

精神的な疲労というものは、なかなか人には理解されません。
私はいつも思うのですが、
「人間にも、ウルトラマンのようなカラータイマーがついいていればいいのに。
そして、精神的エネルギーがなくなってきたら、点滅してくれるといいのに…」
と。

もし、カラータイマーがあったなら、お互いにその精神的疲労を理解し、
「先生、カラータイマーが点滅し始めていますよ
そんな状態で働いちゃダメですよ。
家に帰ってゆっくりと休んで下さい」
高熱になったときと同じように、こんなふうに声をかけてもらえると思います。

しかし、現実には精神的疲労はなかなか理解されません。
さらに、本人自身も
「自分がダメなだけなんだ。
まだまだ頑張らなくてはいけない…」
と思い、自責感と義務感の中で自分を追い込み、いずれ燃え尽きていきます。

こうした個人的な精神的疲労に対しては
「自分の身は自分で守る」
という意志をしっかりと持つのが大事なことです。

疲労を重ねて燃え尽き、働くことができなくなっても、病院や会社が一生、面倒を見てくれるわけではありません。
病院や会社もある程度まではサポートはしてくれますが、原則は自己責任のもとにあります。
最終的な責任は自分が負わなくてはなりません。

であれば、職場の自分への期待にはできる限り応えんと努力しながらも、自分自身できちんとその期待に応えうる『限界ラインを敷く』ことです。
もし、限界を超えかかっているなら、上司に相談してみることです。
相談が聞き入れられず、限界を超えてきたと感じたなら、勇気を出して病院に行くことや休むことも必要です。

このように精神的疲労に対しては、自己責任でもって自分を守ることが重要ではないかと思います。

 


2013年11月11日

医療者の心を守る⑥

医療者には様々な苦しみがあります。
特に、心の医療に携わる医療者には、心の医療に携わるものならではの苦しみがあります。
そのひとつに、同僚の医療者から投げかけられるストレスというものがあります。

医療者にとって非常に厳しいのは、問題行動等の多い対応の難しい患者様の担当となり、その責任のすべてをひとりで負わされることです。

例えば、入院患者様の中には、病棟内で他の患者様に対する迷惑行為を繰り返す人がいます。
しかも、医療者に対しても威嚇してくるような人がいます。
こうした患者様の場合、やはり誰もが関わりを避けたいと思います。
その結果、思慮が浅く、心ない医療者は、その責任のすべてを担当の医療者に押し付けてきます。
「あの患者さん、先生の担当でしょ。
一体、これからどうするんですか?
先生が担当なんだから、何とかして下さいよ」

「患者様の問題」≒「担当の医療者の問題」とされるようなプレッシャーを受けるとき、その医療者は何とも言えない憤りを感じます。
「どうするかって、どうにかできることならやっているよ。
自分も患者様に関わっている医療者であるなら、どうすればいいのか考えてみなさいよ」
品のないことですが、誰もが思わずこうしたことを思ってしまいます。

無責任な態度で、責任を押し付けてこられることへの怒り。
トラブルに十分な対応ができないことに対する自己不全感。
周囲の医療者にも理解されない孤独。
逃げ場のないプレッシャーから、気持ちは落ち込み、精神的な疲労が蓄積されてきます。

こうしたことは、ひとりの医療者にだけ起こることではありません。
誰にも起こりうることです(もちろん、性格によっては、何を言われても意に介さない医療者もいるでしょうが…)。

であるなら、担当の医療者だけに患者様に対する責任を押しつけるのをやめることです。
医療者同士、自分のストレスや不安を、同僚の医療者にぶつけるのをやめることです。

そうではなく、問題行動等の多い対応の難しい患者様がおられたら、「みんなで一緒に考えよう」という体制を作って、お互いに支え合うことです。
責任を分担し、担当者の精神的負担を軽減してあげることです。

患者様に対してだけではなく、同僚である医療者の心にも目を向け、お互いに理解しようという姿勢があるならば、医療者の心には安らぎが生まれてきます。
その余裕は、患者様に対するやさしい眼差しとなって、還元されていくように思います。

 


2013年11月11日

医療者の心を守る⑤

一般に、対応困難なケースの場合、相手はその話している内容に問題があるのではありません。
ですから、いくら理性的な対応をしても、相手はなかなか納得してくれません。

相手が求めているのは、相手との関係性において自らが優位で、認められる立場になることであり、自らの問題をすべて相手に解決してほしいというものです。
それは理性的なものではなく、感情的なものです。
よって、そうしたことがかなわないとわずかでも感じると、相手を責めて、苦しめることで、自らを優位な立場に置き、その満たされない気持ちを一時的に癒そうとするのです。

こうした悪循環を断ち切り、本当の治療に乗せるのがこの限界設定の真意です。
『“満たされない思いを満たそうとすることにこだわり、本当の治療に向き合えないでいる”相手の土俵から、“本当の治療に導こうとする”医療者の土俵に移す』
ことが重要なのです。
いくら治療を行おうとしても、限界設定によって医療者の土俵に来ていただかなくては、治療を始めることはできません。

この限界設定は医療者にとっても、相手の土俵に巻き込まれて疲弊し、燃え尽きるのを防ぐ効果があります。
但し、この限界設定を治療的に意味あるものにするためには、簡単に相手を見切ってはいけません。
まず相手のために何とかしてさしあげたいという愛の思いを自己確認することです。
本当は愛を持って関わりたいけれども、限界設定をして関わる以外に他の方法がないからあえて厳しく接するというつらさに耐え、相手が気付くのを待つという姿勢が大切なのです。
医療者の心の奥に、相手への愛の思いを自己確認した上で、実践することが重要です。

コミュニケーション技法による限界設定には、医療者の心を守る効果があります。
それはまた、対応困難な患者様の中にある相手を苦しめようとする「偽りの自我」を抑え、自己責任でもって問題解決をしていこうとする「本当の自分」の心を引き出すきっかけを導く方法でもあります。
すなわち、目先の結果ではなく、真なる意味で、患者様の心を守ることにつながります。
よって、対応困難なケースの場合、コミュニケーション技法による限界設定は、医療者、患者様の両者にとって有効な方法となるのです。

 


2013年11月11日

医療者の心を守る④

対応困難なケースへの対応方法…。
その最も有効な方法のひとつは
“コミュニケーション技法による限界設定を行う”
ことです。

限界設定とは何か?
それは、
「こちらのできることとできないことをはっきりと相手に伝え、治療の枠組みを明確にする」
ことです。
そのためには、次のことを心がけ、実践します。
「相手の投げかけてくる質問の一つひとつに答えない」
「こちらから発する言葉は最小限度にして、会話を広げない」
「相手がいくら話題を広げようとしても、話のポイントを1点だけに絞り込む」

具体的には、相手の求めてくる質問や要求に対しては「はあ…」「申し訳ありませんが、わかりません」「何とも言えません」といった数種類の曖昧な返事と、「それはできません」といった限界を明確にする返事だけにとどめることです。
たとえ、その質問や要求に対する答えを知っていても、できる限り答えないこと。
それがポイントです。

すると、相手は「では、一体どうすればいいんですか?」と訊いてくるかもしれません。
それに対しても、
「今のところはどうしようもないですね。
申し訳ありませんが、あきらめてもらうしかありません」
このように答えることです。

実は、このコミュニケーション技法による限界設定の最大の目的は、この
“あきらめてもらう”
というところにあります。

ここでいう対応困難なケースの人というのは、
『自分の問題を相手に丸投げして、相手のせいにすることで、自らの力で問題を解決しようとしない人』
のことです。
こうした人への対応というのは、基本的には困難であるのが現実です。

相手にしないというのではありません。
すべてを丸投げしながら、自分の都合のいいように解決するというような魔法のような方法はないということを知ってもらうことが必要なのです。
それが“あきらめてもらう”ということなのです。

問題の解決であれ、治療であれ、
『原則は自己責任でもって主体的に取り組んでもらう姿勢が必要である』
ということに気付いてもらうことが必要なのです。

 


2013年11月11日

医療者の心を守る③

医療者にもいろいろな心の苦しみがあります。
その中でも最も心を脅かすストレスとなるのは、攻撃的な姿勢で接してこられる患者様や家族との関わりだと思います。
そうした人は、他責的な言動に終始し、論理的な説明をなかなか受け付けてくれません。

例えば、あらゆる言葉や態度に対して、被害的にとらえる人がいます。
患者様に対して、好意的な思いを持って微笑み、接していると突然に、
「先生は今、私の顔を見て笑いましたよね。
どうしてばかにしたような態度で診察されるのですか!」
と言われます。
それに対して思わず「いいえ、笑ってばかになんてしていませんよ」と言うと、
「笑っていないですって。
いいえ、絶対に私の顔を見てばかにして笑いました。
それがこうした医者のとる態度ですか!」
何を言っても、聞く耳を持ってもらえません。

杓子定規にとらえる人もいます。
「病気の問題だけではなく、パーソナリティの問題もあるのではないかと思います」と話すと、
「パーソナリティに問題があるですって。
パーソナリティって性格のことですよね。
つまり、私の性格に問題があるということですか。
それって人権を無視していませんか。
先生の態度は人権を侵害していますよ。
もし先生がそうした態度をとられるなら、しかるべきところに訴えますけど、いいですか」

言葉尻をとらえて、揚げ足をとる人もいます。
例えば、
「おそらくうつ病だと思います。
初診なのでまだすべてはわかりませんが、8割くらいの可能性で良くなると思いますよ」
と言った場合、その言葉の最後の部分だけをとらえ、しかもまだ十分な治療期間を経ていないにもかかわらず、
「先生は最初、うつ病は治るとおっしゃいましたよね。
治るっておっしゃったのに1ヶ月経っても全然、変わらないじゃないですか。
ということは、先生は患者に対して、嘘をついたということですか」
といった感じで言われます。

周囲に配慮することなどなく、ただただ自分だけの立場からだけ見て、一方的に権利を主張し、高い要求をしてくる人もいます。
「先生は患者さんが多くいるから、話の時間をとることができないと言いましたよね。
悩んでいる人の話を聞くのが医者の仕事じゃないですか。
相手が悩んでいるなら、1時間でも2時間でも話を聞くべきでしょ。
もし私が自殺をしたら、先生は責任をとれるんですか。
それを話の時間をとらず、お金までとるなんて詐欺じゃないですか」
一旦、こうした人とこのような会話の流れになってしまうと、ついその人の要求する無理なペースに合わせてしまい、何時間もの対応を余儀なくされることもあります。

こうしたやりとりをしていると、医療者によってはこんな気持ちになります。
自分は常識的な対応を行い、それほどの非はないだろうと思っていても、
「もし訴えられて、大変なことになったらどうしよう?」
「噂になれば、職場の同僚は表面的には同情してくれても、本当は自分にも問題があると見られるのではないか」
などといった思いにとらわれ、言いようのない不安や恐怖感に脅かされる毎日を送るようになります。
それによって、非常な精神エネルギーを消耗し、耐え難い疲労をきたすようになります。

このような対応困難なケースへの対応はどうすればいいのか?
これまで医療者や医療関係者だけに話してきた対応法を次回のコラムで話したいと思います。

 


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本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療