いずみハートクリニック

コラム

【思春期】「心を見つめる」という言葉を受け入れられるか?

2013年11月11日

「心を見つめる」という言葉を受け入れられるか?

症状や問題を引き起こしている子どもが心を開いてくれたなら、その心を見つめることが大切なことではないかと思います。
しかし、その「心を見つめる」という言葉そのものは、誰もが受け入れられるものなのでしょうか?

医学の世界では、基本的に心という言葉は語られません。
心とは科学的には証明できないものであり、心は全て脳の働きによるものだと理解されようとしています。
脳の働きと考えると科学的な感じがしてもっともなような気がしますが、現実にはひとつの仮説に過ぎません。
宗教家や歴史上の偉人が述べるように、心は脳というものを超えたこの世では実体の見えない存在である可能性もあります。

いずれにせよ、大事なのは目の前にいる子どもの心を幸せに導くことです。
そのためには、心が全て脳の働きによるものだとする考え方に行き過ぎると問題が出てきます。

実際、こうしたことを語る医者もいます。
「実際はすべて脳の問題なのだから、薬による治療を行うしかない。
それでもよくならないのは、まだ研究が進んでいないからであり、これからさらに研究していくことが大事だ」
非常にもっともらしく聞こえるのですが、こうした医者のとる態度は
「薬でよくならない場合には仕方ない(どうしようもない)」
すなわち、あきらめるという姿勢なのです。

脳が心の働きのすべてを司っているという考えには、人に対して、まさに“心”ない冷たい関わりを生み出す可能性があります。

人には心があり、心というものはやさしさや愛に反応します。
そこに決してあきらめることのできない人間の可能性があります。

原因を追求していこうとする研究や分析は科学を発展させ、人間の幸福に寄与するものであります。
しかし、それとともに現実に今を生きている人に対しては、原因が何であれ、結果が大事なのです。
人の心を幸せにするという結果をもたらすためには、「心を見つめる」という姿勢が不可欠であるのは言うまでもないことだと思います。

 


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