コラム

どこまで摂食障害の人を抱えるか?➀

2014年01月09日

どこまで摂食障害の人を抱えるのか?
実は、この課題はとても重要なことでありながら、これまで十分に論じてこられなかったことではないかと思うのです。

人は何か心身の不調があるから病院に行って医者に診てもらいます。
もちろん、心身の不調を治したいので、基本的には医者の言うことを聞いて指示に従おうと思いますね。

ところが、摂食障害の人の場合、しばしばこうした関係性が成り立たないのですね。
摂食障害が難しいのは病気そのものも難しいからですが、関係性を築くことができないことが多いからです。
あるいは、摂食障害の人がいい子を演じ、治療者もそれに乗ってしまって、「治療ごっこ」のような表面的な関係性だけを作って治療的な関係性を築けないからです。

なぜ関係性を築けないのでしょうか?
それは病気の自己にマインドコントロールされているような状態にあるからです。
ほぼ完全にマインドコントロールされている人、一部だけマインドコントロールされている人、人によって異なりますが、その人の病気の自己の部分と話をすると、治療を共有するための妥協点を見出すことはできません。
例えば、「治療しないと死んでしまうよ」と話しても「太るのは絶対にいや」と抵抗し、「誰が見ても異様なほどにガリガリに痩せているよ」と話しても「そんなことない!まだ太っている」といった認知の歪みがあり、同じ土俵で話ができないのです。
こうした水かけ論のようなやりとりしかできないとき、医者は「目の前にいる摂食障害の人をどこまで抱えるか?」という命題にぶつかります。

一部の医者は、治療の必要性について必死に何とか説得しようとするでしょう。
一部の医者はその重大性を理解せず、義務的な説明だけをするでしょう。
いずれにせよ「治療を受けるかどうかは、最後は本人の意思の問題です」となることがほとんどだと思います。
「本人に治療の意思があれば治療するけれども、その意思がなければどうしようもありません」となります。
これは一般的な診療では当然の姿勢です。

ただ摂食障害の人は特殊なんですね。
なぜなら、何度も言うようにマインドコントロールされているような状態にあるからです。
そして、ときには死というものが目の前に迫っているからです。
仮に、マインドコントロールされていて自殺しようとする人がいるとき、私たちは「それもその人の意思ですから」と言ってそのまま見過ごすしょうか?
非常に難しい問題ですけれども、それを見逃すのは医者としての問題を超えて、人としてどうなのかと思うのです。
確かに、マインドコントロールされているような状態にある人を無理にでも抱え込んで治療に臨むというのはとても困難なことです。
きっと医者自身もどこまで治せるのか、自信を持つことはできないだろうと思います。
ただその人の人生とその人の命というものを見つめたとき、無理にでも抱えるべきときがあるように思うのです。
摂食障害の人をどこまで抱えるかは、病気を診る医者としてだけではなく、そして人の人生と命を見る人として考えるべき問題のように思います。


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