コラム

『心の余裕』の効用

 7月号では「『心の余裕』という視点」というエッセイを書かせていただきました。今回はその続編です。
 人は誰でも、心の奥底に望んでいる明るさ、やさしさ、安心感、前向きな思考など素晴らしい特性を備えた本当の自分というものがあります。ただ心が疲れているとき、何かにとらわれてしんどくなっているとき、ふと気づくと人はこうした本当の自分を見失っています。この本当の自分を取り戻すために、あるいは普段から本当の自分で居続けられるようにするために必要なのが『心の余裕』です。
 
 人はいろいろと神経を使うことが多過ぎて心が疲れたり、あるいは何か悩みにとらわれてしんどくなったりすると、気持ちが落ち込んだり、イライラしたりします。それが極限に達するとどんなふうになるのでしょうか?
 まず人に相談に乗ってもらってもあまり役に立たず、救われません。なぜなら、助言をしてもらっても、その言葉の意味を頭では理解できても、心の中には入ってきません。心がいっぱいいっぱいで余裕がないと、どんな言葉かけをしてもらっても弾いてしまうんですね。人って頭で理解しても、心に響かないと行動に移すことができません。ですから、結局は役に立たないんですね。
 一方、そんなときでも「助言してくれる人によっては、役に立つことがあるよ」と思われるかもしれません。その場合はきっとその人が具体的な助言をする前に心を緩め、心に余裕をもたらすようなやさしい声かけをしてくれているのではないかと思います。例えば、「あなたは本当によく頑張っているんだから疲れるのも当然ですよ。それでも倒れずにやっているだけですごいなあと思いますよ」とか、「本当にしんどいですよね。イライラするのも腹が立つのもわかりますよ。よくないかもしれないけど、どうしてもイライラしてしまいますよね。そんなの当然ですよ」とか、気持ちに寄り添って自分のことを認めてくれるような声かけをしてもらえると心に余裕が出てきます。すると助言を聞くことができるんですね。人は心に余裕ができて初めて相手の言葉を心で聞き入れることができるようになるんですね。

 次に、気持ちが落ち込んだり、イライラしたりしているときって、実は自分の意志で行動しているのではなく、感情に反応して行動しているだけで、感情に流されていることが多いんですね。わかりやすく言えば、感情をコントロールすることができず、自分の意志で行動していない。自分で考えて行動しているように思ってもよく振り返ってみると、感情に反応して浮かんだ考えで行動しているだけで、自分の意志で自分のためになる考え方を選ぶことができていないんですね。例えば、家に引きこもってずっとゲームやスマホばかりしている子どもやお互いに仲が悪くて家に居場所がない夫婦などはこのパターンに陥っていることが多いかと思います。
 しかし、何らかのアプローチによって心の余裕が出てくると、不思議と自分のためになるいい考え方や行動をとれるようになってくるんですね。
 診療においてもそうなのですが、心の状態がとても悪い方が来られると、まずはいかにしてその人の心を緩めるか、そして、少しでも心の余裕をもたらすかということを考えます。薬の力や声かけによって心の余裕が出てくれば、こちらの助言を聞いてもらえるようになり、素直な人はそれを実践してくれます。そうして状態がさらによくなると、今度は自分から「このように思うんですけど、どうでしょうか」とか「このように思ったので、今はこのように行動しています」といった話をしてくれるようになります。その内容は驚くほどその人のためになるもので「それに気付かれるなんてすごいですね」、「その通りでいいと思いますよ」といったような後押しするような声かけをするだけで十分になります。すなわち、心の余裕が出てくると、本当の自分に目覚め、本当の自分の性質である主体性、前向きな思考、喜びや楽しみなどにつながる思考や行動ができるようになってくるんです。このようになってくると、最初は医師の方にあった治療の主導権も患者様に移り、自ずと治療の必要性はなくなり、終了することになります。

 最後に、心の余裕が出てくると、人は『いまこの瞬間』を生きられるようになります。何を言っているのかと思われるかもしれませんが、落ち込んだり、イライラしたりしている人ってほとんどの場合、いまこの瞬間を生きていないんですね。頭の中で過去のしんどかったことや未来に起こるのではないかといった不安なことばかり考えてしまっているんです。しかし、心の余裕が出てくると、例えば空を見る余裕が出てきて「なんて気持ちのいい青空なんだろう」と思ったり、子どもたちが遊んでいる姿を見ても「なんてほほえましいんだろう」と感じたり、今、目の前にある幸せを感じられるようになります。

 人はいろいろなことに悩み、感情をコントロールできなくなりますが、『心の余裕』という視点に目を向けると脱するきっかけがつかめるのではないかなという気がします。悩んでいる人の相談に乗るときも同じです。心の余裕を取り戻すことは本当の自分の意識を取り戻すことにつながり、ここに述べたような様々な効用をもたらしてくれるかと思います。

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