私は高校時代、将来の仕事を考えるにあたって、「人の心を幸せにするのに役立てる仕事がしたい」と考えました。どのような仕事があるのかと考えたところ、その目的を叶えるのに最も近い職業はこころの医者ではないかと思い、その道を目指すことにしました。その結果、運や環境にも恵まれ、幸いにも医者になることができました。
こころの医者を目指すには心療内科か精神科ということで、その道を選びました。しかし、いざ医者になると絶望感が大きくなりました。なぜなら、教えてもらうのは病気のこととどのように薬を使うのかといったことが主で、患者様に楽になってもらうにはどのようにかかわっていけばいいのかといったことは教えてもらえない。さらに、勉強するように勧められたフロイトやユングのような心理学は、とても難しい。そこでどのようにかかわっていけばいいのかを訊ねると、「それは自分で経験していくしかない」とか「それを学ぶには経験のある先生らのスーパービジョンを受けるのがいい」と言われます。実際にスーパービジョンを受けるといくらか学びはあるものの、やはり患者様が良くなって幸せになっていくビジョンが見えてこない。同僚の他の医師たちがどのように感じていたかはわかりませんが、私自身は患者様がなかなか良くなっていかないような気がして、とても絶望的な気持ちに襲われました。
私が当時、患者様の何を見ていたのかと振り返ってみると、まずはその方が病気かどうか、どのような病気かということでした。とは言っても、病気を見極めるのも簡単ではなく、患者様がおっしゃられる症状を分析して判断するのは大変なことでした。何とか診断をしてお薬による治療を試みるも、なかなか良くならない患者様がたくさんおられます。さらに、実際の診療では、患者様に病気以外に悩んでいることをよく相談されます。それに対してどのように答えていけばいいのかということは全く習っていません。頼れるのは(実際には頼りにならないのですが)それまでの拙い自分の人生経験だけ。心理学や自己啓発本にいいことが書いてあるので受け売りでそれを話しても、自分自身が本当に腑に落ちていないと、その言葉は上っ面だけになってしまい、患者様の心に伝わらない。そうした診療しかできなかったので、自分を信頼してきてくれる患者様に申し訳ない気がして、いつもとてもしんどい日々を送っていました。
その後、いろいろな本を読んで学び、考え続けました。様々な患者様と徹底的に向き合って、あきらめずにかかわろうとし続けました。その結果、自分自身もいくらか成長したように思います。今、患者様を診るときの視点は、医者になった頃とは全く異なります。患者様のおっしゃられることはとても大切で耳を傾けていますが、それと同時に患者様の表情や態度から感じられる心の状態にも意識を向けています。まず病気かどうかを見極めることは大切ですが、その見極める力も、これまでの臨床経験のおかげもあって医者になった当時とは雲泥の差があります。そして、病気による表面的な症状だけでなく、その奥にある不安や恐怖、心の葛藤、本人自身も自分を見失ってわからなくなっている心の状態などを見ていると、どうすれば安心感を持ってもらえるだろうとか、今は粘って時を待ってあげるのがいいのかとか、ヒントとなるようなことを助言するのがいいのかとか、そうしたアプローチがいくつも頭に浮かんできます。イメージとして表現するなら、平面的にしか見えなかった患者様が、立体的に見えてくるような感じです。以前であれば、こうすればいいのではないかといった正論しか思い浮かびませんでしたが、今はどのようにすれば患者様の心が緩んで、光が射し、自ら変化する可能性を生み出していくのかといったことを心に描き、それにはどのように話すといいかといったことを意識しています。まだまだ未熟ですが、その人の幸せに役立てることも多くなりつつあるような気がします。
患者様の顔を見ずにカルテだけを見ていては、その人の心は見えません。患者様の語る言葉だけを鵜呑みにしていては、本当の姿が見えないことがあります。見るのは患者様の表情や目の光であり、何気なく語る言葉です。何気なく語る言葉が人への恨みや憎しみであれば、その人の心はかたくなで破裂しそうなほどいっぱいいっぱいだと思われるので、何とか寄り添うのが精一杯で、もう少し時を待つしかありません。愚痴や不平不満に満ちていれば、今は人の言葉を聞く余地があるのかどうかを見極め、聞く余地がないときには寄り添うにとどめ、聞く余地があるときには「今のままでは自分がしんどくなるだけですよ。ちょっとこんなふうにしてみてはどうですか」と助言するのがよいかもしれません。一方、しんどいとは言いながらもどことなく表情が緩み、明るくなっているように見えたならば、言葉よりもその観察から得られた情報の方が的確なことがあります。「最近、何とかなると思うようになってきました」といった言葉を語るようになったならば、それは心病む人の言葉ではありません。明らかに良くなっていると言っていいと思います。このように人を見るときに大切なのは、表面的に語る言葉や行動だけではなく、表情や目の光、何気なく語る言葉であり、その奥にある心の状態や心のレベルではないかと思います。
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