コラム

人の心に影響を与える言葉とは?①

 私たちは普段、何気なく言葉を発しています。それが普通ですし、自分の思っていること、感じていること、知っていることを話して、お互いのコミュニケーションをとっています。ただ心が傷ついている人、つらい毎日をいっぱいいっぱいで生きている人などと話していると、何気なく言葉を発していても本当のコミュニケーションが成り立たないことがあります。どういうことかというと、こちらとしては普通に話しているつもりであっても、全く相手の心に伝わらないときがあります。あるいは、相手が傷ついてしまうことがあります。こちらとしては別に普通に話しただけなのに「なぜ?」と思うでしょうし、人によっては「せっかく相談に乗って話してあげているのにどうして?」などと思うんじゃないかなって思います。

 実は言葉とは、その言葉の意味を伝えるだけでなく、そこに語り手の持ついろいろな要素が加わって相手に伝わっていくものなのです。語り手が語らんとするその言葉への「理解」の深さ、言葉を発するときの語り手の「思い」、あるいはその背景にある「信念」、そして、語り手の心の「波動」の高さ、こうしたものが影響します。

 まず、語り手の言葉への「理解」の深さとはこうしたことです。普通の会話で「これ知ってる?知らないなら教えてあげるよ」と単なる知識を伝えるようなときには、その言葉への理解は大した問題ではありません。知っていることをただ伝えるだけですから、それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、心の話のときは少し違います。人から聞いたり、本やインターネットで得た知識を伝えたりするだけではしばしばうまくいきません。昔、ある知人が「悩んでいる人には一転語を与えて、迷いを解いてあげるといい」といったようなことを言っていました。一転語とは「心機を一転させる語。迷いを転じて悟りを開かせる一語」という意味です。しかし、どこかで知っただけの言葉を一転語だと言って伝えても、まずその人の苦しみを救うことには繋がらないでしょう。みなさんもそう思いませんか?もしそれで救われるのであれば、もっと普遍的に一転語で人の苦しみを救うという方法が広がっているはずです。普遍的でないということは、そんな安易なものではないということです。

 知っているだけの受け売りの言葉では、なかなか相手の心に伝わりません。ただ、語り手がその言葉の意味を深く理解して発した言葉であるなら、一転語とまではいかなくても相手の心が救われることがあります。昔、私自身もあることで深く悩み苦しみ、孤独の中で生きることがこれほどにつらいのか、一日一日を過ごすことがこれほどにしんどいのかという経験をしたことがありました。すると、それまで心の病気のために仕事もできず、人と交流することもなく、孤独に日々を過ごしている人の気持ちに今ひとつ思いを馳せることができなかったのが、何となくできるような気がしてきました。診察をしていてもその人が日々、どのような思いで生活をしているのだろうかと思い、思わず「生きて毎日を過ごしているだけでもすごいと思うよ。本当によく頑張っていると思うよ。」といった言葉を投げかけるようになりました。するとそれまでいつも無表情だった患者様がふと笑みを浮かべてくれて、初めて何かその方の心に伝わったような気がしました。「貧者の一灯」という言葉があります。お金持ちの人がお釈迦様のために寄付した万灯よりも、貧しい人がなけなしのお金で寄付をしたたった一灯。その一灯に込められた尊い思いをお釈迦様は見ており、評価されているのだという説話ですが、何もできなくても精一杯一日一日を生きている価値というのは、この貧者の一灯と同じような価値があるように思うのです。それは普通に過ごしている人にはなかなかわからないことではないかと思います。しかし、その人の立場に立ってよく考えると、孤独で社会的立場もなく、誰からも認めてもらえないような存在でありながら生きるのはどれほどに大変なことか。どれほどにすごいことか。その人には何もないように見えるかもしれませんが、その中で一日一日を生きるというのは貧者の一灯のような価値あることではないかと思うのです。

 「頑張る」という言葉一つをとっても、心病んでいる人にあまり深く考えずに「頑張ってね」と声をかけたとしてどれほど伝わるでしょうか?応援するつもりで言ったとしても、本人は「何もできないからつらいのに、一体、何を頑張れと言うの?」といった思いに襲われてさらにつらくなるかもしれません。一方、今述べたように語る人が一日一日生きていることの頑張りを理解して「本当によく頑張っているね」と声をかけたのであれば、その言葉は相手の心にも伝わり、「自分の気持ちをわかってくれているのかな」「こんな自分でも認めていいのかな」と思い、その心はいくらか癒されるかもしれません。ひとつの言葉をとっても知っているだけで語る言葉と、その言葉の意味とともにどれほどに人の心に影響を与えるのかを深く理解して語る言葉では、心の話をするときには雲泥の差です。相手とのコミュニケーションがうまくいかないように思われるときには、自分の言ったことが正しいか間違っているかといった基準ではなく、「その言葉が相手の心に与える影響力を自分はどれほど理解できているのだろうか」といった視点から振り返るといいかもしれません。

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