今月から「こころの健康コーナー」を担当致します泉 和秀と申します。京都府立医科大学精神医学教室に入局後、京都、大阪の総合病院、滋賀県立精神医療センターでの心療内科・精神科での勤務医を経て、神戸でいずみハートクリニックを開業しております。私はこれまで多くの患者様の人生を見つめながら、徹底的に自分と向き合い、こころの医療に向き合ってきました。その経験から得られた光の財産をこのコーナーで少しでもお伝えできればと思います。
さて、「こころの健康とは何でしょう?」と訊ねられるとみなさんは何を思われるでしょうか?
例えば、「うつ病や統合失調症といったこころの病気でなければ、健康なんじゃないの?」と思われるかもしれません。それも一理ありますが、現実はそう単純ではありません。
からだの病気であれば、例えば「発熱やのどの痛みなどの症状があり、PCR検査を行うとコロナウィルスに感染していることがわかった」ということであれば、その瞬間をもって病気だと診断されます。要するに、体温だとか、喉が赤く腫れているとか、検査でわかるとか、誰が見てもわかるような客観的な指標があり、健康と病気の境界線がはっきりとしています。
一方、こころの病気はどうでしょうか。たとえば、過重労働で気分が落ち込んだり、イライラしたり、思考が回らずミスが目立つようになったなどの不調を自覚するようになったとしましょう。さあ、これは病気なのでしょうか。この場合、仮に病気だとすれば「適応障害」もしくは「うつ病」と診断されるでしょう。そのためにうつ病かどうかをチェックする簡易検査はありますが、そうした検査はあくまで参考所見にしか過ぎません。インターネットで見かけるようなチェックシートでいくらうつ病の可能性が高いという結果が出ても、診断の決め手にはなりません。実際に診察すると、全くうつ病でないこともあります。
病気かどうかの診断は、その人のこれまでの経緯や生活状況など様々な話を聞いた上で、診断基準に照らし合わせて総合的に判断します。からだの病気のように明確な客観的な指標があるわけではないので、なかなか難しい面があります。実際にいろいろと話を聞いても1回の診察だけでは「病気かもしれないし、病気ではないかもしれず、現時点ではグレーゾーンとしか言えませんね」というようなこともあります。
ただ大事なことは、こころの病気かどうか診断することだけではなく、実際にその人が今、悩み苦しんでいるかどうかということです。もちろん、こころの病気だと診断することができれば、具体的にくすりによる治療やその他の医学的アプローチなども考慮できるので改善につながりやすくなります。しかし、病気でなくても、人には悩み苦しむ状態があります。それを病気ではないから健康かと言えば、そうとは言えないように思います。実際に、世界保健機構(WHO)の定義では「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることを言います」とあります。
人は誰でも、心の奥底に望んでいる自分の姿というものがあります。明るく天真爛漫な心でいたい、人に優しくありたい、素直で正直に生きたい、勇気ある心を持っていたい、いつも喜んだり楽しんだりしていたい、前向きに考えられるようになりたい、成長し続けたいなどそれは、その人が生まれながらに持っている本来の姿です。この本当の自分のままに生きられると人は幸せですが、幼少時から親をはじめとする大人の影響を受け、また人とのかかわりの中で、偽りの自分が芽生えてきます。
偽りの自分とは暗い心、抑うつ、愚痴、不平不満、イライラ、怒り、暴力、虚言、人と比べることで生まれる劣等感、自己嫌悪、あるいは人を蔑む心、ねたみやうらみ、憎しみ、被害妄想、さらに人や物質(アルコール、薬物、買い物、インターネット、ゲームなど)への依存など本当はそうありたくない自分のことです。
ほとんど誰もがこの偽りの自分の部分を持っていますが、偽りの自分の部分が大きくなってくるとまわりの人たちと不調和を起こし、ストレスを抱えがちとなります。かといって人とのかかわりを避けてひとりで過ごしていても、心がマイナスの方向に向いているので、しんどくなるようなことばかり考えてしまって不安になったり、落ち込んだりすることが多くなります。
このように考えると、こころの健康とは本当の自分に目覚め、本当の自分の心で過ごせる状態だと考えられます。これができているのは幼い子どもたちです。幼い子どもはまだ偽りの自分は形成されていないので、人のことをありのままに見て、純粋な愛情を示してくれます。明るく素直で、正直で、喜んだり楽しんだりする心に満ち、いろいろなことを学んで成長しようとします。しかし、私たちは望む望まないにかかわらず、人とのかかわりの中で偽りの自分というものが形成されてきます。ただ偽りの自分が形成されても、本当の自分が優位な状態であれば、概ね健康に生きていると言えるのではないかと思います。
こころの健康を考えるとき、こころの病気か否かということだけではなく、その前段階として『自分のこころがどれだけ偽りの自分に侵されているか、あるいは本当の自分に目覚めているか』そうしたことに目を向けることが大切な視点ではないかと考えます。
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