「心の居場所」とは、“この世界において自分の存在意義が認められ、心が安らげる場所”のことを言います。
例えば、家族仲良く暮らしていればそこが心の居場所になるでしょうし、楽しい仲間がいればそこが心の居場所になるでしょう。あるいは、雄大な大自然の中で一人の時間を過ごしていることが心の居場所になる人もいると思います。あるいは、ほかの人から見ると大変に見える仕事であっても、そこにやりがいと存在意義を見出していれば仕事そのものが心の居場所になっているかもしれません。
しかし、誰もが心の居場所を持っているわけではありません。どこにも心の居場所がなく、息が詰まるような日々を送っているような人もいます。心の居場所がなく、落ち込んだり、イライラしたり、自分の感情に振り回されたりしながら生きている人もいます。意外に名声を得たような人であっても、大金持ちであっても心の居場所がないことってあるんですね。心の居場所に必要なのは必ずしも、名誉やお金やモノではないんですね。そのような人であっても、周りの人が評価するほどに自分を認められず、安らぐことができず、心の居場所がないことがあるように思います。
ましてや何らかの形で日常生活に不適応を起こしたり、心の病に陥ったりしている人においてはなおさらです。彼らが求めているのは、まず心の居場所です。決して自分のことを責めずに受け入れてくれる。さらに、今の自分のこのどうしようもない気持ちを理解してくれる、いや、理解できなくても理解しようとしてくれる。そして、いろいろなことがうまくいかなくても、生きているだけしかできなくても、そんな自分を肯定し続けてくれる。そんな人と触れ合える環境を求めています。多くの場合、職場や学校などで不適応を起こしているので、そこに心の居場所を求めるのは難しいように思います。一番求めたいのは家庭ではないかと思いますが、家庭に心の居場所がない人は意外に多いように思います。夫婦であってもお互いに理解し尊重し合えずに嫌なところばかりが目につく、親であっても子どもを思ってのことと言いながら自分自身の安心のために子どもの行動を正すことばかりを求め、子どもの心を理解できない。そうした家庭で過ごしている夫婦や子どもには心の居場所がありません。人によっては心が病み、人によってはアルコールや買い物に依存し、人によってはインターネットやゲームの世界に逃避します。要するに、人は孤独で心がつらいときには、わらをもすがる思いで心の居場所を探し求め、ときにはそれが自分を害するものであっても、目先の安らぎに走らんとすることがあるのです。
ですから、心が病んでいたり、何かに依存したり逃避したりしているときには、その問題に焦点を当てるより、その人に心の居場所があるかどうかを見てあげることが大切なんですね。「家ではゆっくりできていますか?」「家には自分の居場所はありますか?」と訊ねたときに「はい」と言える人の場合は、今は何らかの不適応を起こしていても、将来的には何とかなっていくのではないかと思えます。しかし、外にも家にも心の居場所がない人の場合は厳しいですね。おそらくその人は毎日を生きているだけで精一杯なんです。ですから、そこから良くなっていくということは本当に難しい。
診療では少しでもその人の気持ちに寄り添い、毎日何とか生きて過ごしているだけでもよく頑張っていると認め、ほんの一瞬でも心の居場所を感じていただけるように心がけています。ただ周囲の人の心配りによって得られた心の居場所は、言い換えれば、喉が渇いたときに周囲の人から水をもらうようなものですから、周囲の人次第で水をもらえるときももらえないときもあります。最終的に目指したいのは、井戸の水が内から自然と湧き出るように、自分の心の井戸から水が湧き出るようにして、自分の心を潤すことではないかと思います。ただこれが非常に難しいんですね。難しいから心が病んでしまったり、目先の安らぎに逃避したりするんです。
自分の心の持ち方を意識することによって心の居場所を作るには、いろいろな常識の枠や「ねばならない」という思いを捨てることです。周りの目や周りの評価、いつの間にか身についてしまっている固定観念が自分の心を縛り、居場所をなくしてしまっているんです。それよりも自分が楽になるように楽になるように心がけることです。楽になってはいけないんじゃないかと思うかもしれませんが、楽になっていいんです。ぐうたらして過ごして楽ならそれでいいし、あなたはあなたのままで生きているだけでも精一杯頑張っているし、それでいいんです。それでもまだ目の前の問題、将来への不安で心がいっぱいではないかと思います。そんな状態から自分の心の居場所を取り戻すためには、その不安に打ち勝って「何とかなる」「きっといい方向にいく」と言い聞かせることではないかと思います。なぜなら、心の居場所がある人はみなさん、何となく「何とかなる」「きっといい方向にいく」と思っていますからね。ですから、最初はそのように思えなくても何十回、何百回と言い聞かせ、自分自身と自分の運を信じられるように自分を導くことです。そのように、心の居場所を持てるように心がけていると人生は好転し始め、幸せは意外と身近なものになってくるのではないかと思います。
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