コラム

【医療者の心を守る】医療者の心を守る①

2013年11月11日

医療者の心を守る①

心の医者になってから、いつまでも心の中に残っている人の中に自殺をして亡くなった方たちがいます。

自殺の問題は人の心に深い衝撃を与え、とても繊細な問題なので、安易なことは語れません。
ある患者様がなくなったとき、その主治医がどんな思いでいるのか?
お互いに敢えてそうしたことは訊ねませんし、その主治医がどのように語ろうとも、真意についてははかりかねるところがあります。

私自身、継続的な治療の途中に患者様がなくなられたという経験は限られています。
むしろ、治療が途切れて数ヵ月後、半年後に亡くなったという経験が多かったような気がします。
ただいずれの場合であっても、そうした方々の存在は今も心のどこかに残っています。

振り返ってみると、自殺される前、一時的にせよ、そうした方々との心のつながりは離れていたような気がします。
表面的には、取り繕った対応をして下さっていた方もいました。
しかし、何か共感し合えるような会話ではなく、『暖簾(のれん)に腕押し』のような手ごたえのない会話だったような気がします。
人はこの世界にいる人たちと一時的に心が遊離したような状態になったとき、魔がさして自殺に引き込まれるのかもしれません。

残った家族、友人、そして、医療者はどのようにして自分たちの心を守ればいいのでしょうか?
ある人は「仕方なかったんだ」と自分に言い聞かせ、現実に向き合おうとします。
ある人は心の中で引きずって、一生、心の重荷とされ続けるかもしれません。
私は今、目の前に生きている人に対して心を尽くして関わり、自らの人格を高めていくことだけを考えます。
仏教に「回向(えこう)」という考え方がありますが、自分の修めた功徳を亡くなった方々に手向(たむ)けることだけが自分のできることではないかなと思うのです。

もし今、目の前に生きている人に対して、いつも誠実に自分のできる限りの愛を与え続けることができたなら…、そうした生き方こそが、自らの心を救うのではないかと思います。
亡くなったという事実に衝撃を受けることはあっても、誠実にその方に愛を与えようとしてきた自分に対して、どこか許せて、受け入れることができるのではないかなと思うのです。

心の医者であれば、おそらく誰もが避けられない自殺という問題。
そこから医療者の心を守るのは、
『今、目の前に生きている人に対して誠実に心を尽くして関わり続けること』
だけなのではないかなとそんな気がします。

 


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