コラム

人は他人の言葉をどう受けとるのか?

 ある程度、人生を生きていると思いませんか?人が他人の言葉をどのように受けとるかは本当に千差万別だなと。例えば、こちらは普通に話しているつもりであっても「えっ、なぜ?どうしてそんなふうにとるの?」と言いたくなるようなことがあります。その人はこちらの言うことを被害的に受けとるんですね。そういう人に「そうじゃないんです。それはこういう意味なんです」と説明すると誤解が解けることもありますが、いくら説明しても聞く耳を持ってもらえないこともあります。そんなとき、本当に「どうしてそんなふうにとるのかな?」「なぜ伝わらないのかな?」と途方に暮れてしまいます。

 一方、その逆もあります。もしかするとこうした体験をされた方は少ないかもしれませんが、こちらは何気なく話しているつもりなのに、相手はなぜかこちらのことをすごくよく思ってくれる。その人のために何かいいことでもしたのであれば理解もできますが、何をした覚えもないのにいいように受けとってくれて、認めてくれる。よほどいい人なのか、なぜか自分のことをいいように思ってくれる。会話というのはほとんどの場合は普通にやりとりできるものですが、ときとしてこんなふうに意外な受けとり方をされて不思議に思うことがあります。

 では、こうした予想外の言葉の受けとり方をする人との付き合い方について考えてみたいと思います。まず、被害的にとらえる人ですね。こうした人との会話は本当に難しいと思います。被害的に受けとる人は他人のせいにします。他人のせいにしてその人を攻撃し、愚痴や不平不満を言ったり、その人の悪口を言ったりします。そのターゲットがほかの人であれば、まだ静観できるかもしれませんが、自分に向けられると大変です。被害的な人の心は歪んだ鏡のようなものです。例えば、自分の姿を凹凸の歪んだ鏡で見れば、事実とは異なって痩せて見えたり、太って見えたりして歪んで見えるでしょう?被害的な人は他人の言動をこのように歪んでとらえるのです。しかも問題なのは、自分の心が歪んだ鏡のようになっていることに気づかず、その歪んだ鏡の心に映った相手の姿を真実だと思ってとらえることです。普通に話した言葉だけでなく、相手を気遣って話した言葉であっても、相手のことを思って発した言葉であっても被害的にとらえてしまいます。こちらがターゲットになっている場合にはこちらのことを悪い人間だとレッテルを貼って決めつけているので、何を言っても通用しません。それでも、何とか仲良くなりたいと思う人もいるかと思いますが、基本的には無理です。かかわり続けている限りこちらは我慢し続けなければならず、ちょっとした言動であっても被害的にとられ、悪く言われます。ですので、そうした歪んだ鏡の心を持った人との関係はあきらめ、距離をとるしかありません。もし、どうしても距離をとれない関係にあるときには、できれば会話をするときも相槌程度にとどめて、できる限りこちらからは余計な言葉を発さないようにすることです。そのようにして、被害的にとられる材料を与えないのが賢明です。

 一方、自分のことをよく思ってくれる人とは当然ながら付き合っていくといいかと思います。ただ自分にある程度の地位や経済的豊かさなど何か相手に利益をもたらすものを持っているときは注意しなくてはなりません。自分にそうしたものがある場合、相手も付き合うと得になると思って、必要以上に褒めたり、持ち上げたりしてくる場合があります。こうした外的な条件で判断して、寄ってきている人の存在については見抜かなくてはなりませんが、現実的になかなか難しいこともあって判断できないこともあります。そうしたときには相手の言葉を鵜吞みにせず、本当に信頼できる存在だと確信できるまでは話半分程度に聞き流し、一定の距離を保ちながら付き合うのが賢明かと思います。「白い巨塔」という医療ドラマでも描かれているように、一昔前の大学教授というのは絶対的な存在でした。全ての医局員は教授という絶対的存在に対して忖度し、教授と話すときには持ち上げるのが基本です。ただ心の中でその教授という人を本当によく思っているかどうかは別で、その教授が人として評価されているかどうかは退官し、教授という地位がなくなったときにわかります。人というのは現金なもので、地位やお金に寄ってきている人たちはそこから利益が得られる可能性がなくなると波が引くように去っていきます。自分に地位やお金などといった利益をもたらすものがなくても、人として変わりなく接してくれる人こそ本当に信頼できる人間関係です。自分と付き合っても何の得もないような関係でありながら、その人は何を認め、よく思ってくれているのでしょうか。それはおそらくその人の人間性を評価しているのではないかと思います、あるいは、自分でも気づいていない可能性を見てくれているのではないかと思います。実際、私も友人や患者様を見ていて本人も気付いていない可能性が見えることがあり、そうしたときにはいずれキラキラと輝いてくるであろう可能性を本人に伝えずにはいられないことがあります。自分のことをよく思ってくれる人は、自己肯定感を高めてくれます。自分自身を成長させてくれます。もし、みなさんのまわりにもこうした人がいればその関係性を大切にしていくことで、より幸せな人生になっていくのではないかと思います。

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