「執着」という言葉があります。「一つのことに心をとらわれて離れられなくなること」という意味ですが、ときとして人は異様にあることにとらわれたり、こだわったりすることがあります。よくあるのが親や他人の言葉です。親に「あなたはこういう人間なんだから」とレッテルを貼るようなことを言われたり、「あなたなんて生むんじゃなかった」といったことを言われたりすると、その言葉にとらわれ、心の奥深くに自己否定してしまうような価値観が根付いてしまうことがあります。あるいは、他人から悪口を言われたり、暴言を吐かれたり、ダメ出しをされたりしたことがずっと気になってとらわれてしまうことがあります。その結果、イライラや怒りが抑えられなくて情動が不安定になったり、心身の不調をきたしたり、リストカットや過量服薬などの自傷行為を起こしたりするようなことがあります。さらに、そうした自己否定の思いにとらわれることで、新たなこだわりやとらわれが生まれます。例えば、自分の容姿にこだわりすぎて醜形恐怖に陥ったり、体型や体重にこだわりすぎて拒食症や過食症に陥ったりします。あるいは、他人がどんなふうに自分を見ているのかということにとらわれると社交不安障害(対人恐怖症)になりますし、不安なことに意識がとらわれると不安神経症になります。他にも例を挙げるときりがありませんが、心の病というのは執着してしまうことがしばしば原因になります。
これに対して仏教では執着をなくすには「空(くう)」の思想が重要だと言います。しかし、一般人にとっては「空」という思想を理解するのは難しく、さらに実践するとなるとよりわからなくなるのが普通ではないかと思います。ですから、ここでは実際の臨床から振り返って執着とどう向き合えばいいのかを考えてみたいと思います。
執着を手放す、すなわち、こだわりやとらわれをなくすのは本当に難しいことです。執着で苦しんでいる人は「でも、どうしても気になってしまうんです」「どうしても気持ちがコントロールできなくて」と言われます。そうなんですね。わかっていても執着からはなかなか離れられないものなんです。なぜ離れられないのでしょうか。よく観察すると、執着する人の傾向として、自分に対する自信のなさや自己否定の心があります。人の言葉によってその自信のなさや自己否定の心を刺激されると、傷口に塩を塗られるようなもので不安や抑うつ、怒りが生まれ、苦しくなるのです。その場合、そうした気持ちを理解してくれたり、自分のことを認めてくれたりする人がいると心が癒されます。「あなたは大丈夫だよ」「今のままでも十分によくやっているよ」と言ってもらえるとその瞬間、心が救われます。ただそれはほんの一瞬で、日常生活に戻ると再び執着していることに心が支配されるようになります。
では逆に、執着があまりない人というのはどんな人なのでしょうか?それは自分軸で生きている人だと思います。自己否定とは逆で最初から自分を肯定できていて、他人の言葉で自分を評価しない。もちろん人の言葉の影響はいくらか受けるでしょうし、人との比較もするでしょうが、基本的には自分で自分のことを評価できる。だから、他人の言葉を真に受けないし、他人が自分のことを受け入れてくれるかどうかといったことにとらわれない。だからと言って、等身大の自分以上に自分が優れていると思い込み、得意になって自惚れているのでもなく、自分基準で自分を認められるような生き方をしていて、そのこと自体を楽しんでいるようにも見えます。こうした人は自分の目標は持っていても執着は少ないので、心の病気になる可能性もほぼないように思われます。
では、執着のある人がそれをなくすにはどうすればいいのでしょうか?仏教の教えが説かれているくらいですから、そう簡単ではないことは確かでしょう。それが簡単にできれば、心の病に陥っている多くの方が一瞬で良くなるでしょうし、今悩みを抱えている人も短時間でそこから脱することができるでしょう。ですから、執着をなくすことは非常に大変であり、時間を要するものだと思います。それでも執着をなくすのにどうすればいいのかというと、それは今の自分の環境を受け入れることではないかと思います。とても苦しく、本当に嫌でしんどくて何もいいことなんてないかもしれませんが、それでもこれは自分にとって何かを学ぶ機会であると捉えて学び、成長することです。そして、このままずっと苦しみが続くのではないかと思ってしまう自分の心に打ち勝って、きっといい方向に行くと信じることだと思います。今、抱いている思いが新たな未来の自分を作りますからね。そして、一番大事なのは自分で自分を認めてあげることです。「ダメなところもあるかもしれないけれど、本当によく頑張っているよ」「自分は自分でいいんだよ」と自分を認めてあげるようなことを習慣化し、自分軸ができてくればそれとともに執着というのは少しずつ薄れていくのではないかと思います。治療の中で患者様が「考えても仕方ないですしね」「なるようにしかならないと思うようになりました」と言われるようになったとき、それは執着から離れ、心の状態が明らかに良くなってきている証拠です。病気は治り、人生そのものも幸せになってくるのではないかと思います。
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