コラム

悩みの答えとは

 悩みとは、問題に対する答えが見つからないときに悩みとなります。答えが見つかれば悩みではなくなりますね。では、人はどのようにその答えを見つけるのでしょうか?

 多くの人は「どうしたらいいんだろうか」と必死で考えます。しかし、考えても考えてもどうしたらいいかわからない。
 このとき、大したことのない悩みであれば、放っておくだけで解決することがあります。悩んでいることって、時間を耐えるだけで自然と解決することがあります。みなさんも考えてみればわかるかと思います。今悩んでいることって、1年前からの悩みですか?3年前からの悩みですか?逆に、1年前に何を悩んでいたか覚えていますか?3年前に何を悩んでいたか覚えていますか?悩みはもちろんそれに向き合って解決することもありますが、大したことのないほとんどの悩みは時間とともに自然に解決します。例えば、嫌な人間関係で悩んでいても数年もすると離れることになって問題でなくなったということがあります。何か大きなイベントがあってうまく乗り越えられるだろうかという悩みがあっても終わってしまうとその結果がどうであろうと、受け入れて落ち着くといったこともあります。そうして悩みが解決すると、人はそのことをほとんど覚えてもいません。

 一方、自分の人生に影響を及ぼすような大きな悩みもあります。ずっと心や頭の中が支配されてしまって拭いきれない悩みがあります。その悩みに感情まで支配されれば、不安障害やうつ病になってしまうこともあり、そうなると悩みに対処する心に余裕がなくなってしまい、どうしようもなくなります。その前に何とかしたいものです。

 悩みというのは、その悩みと同じレベルの認識力のままでは解決できません。今までよりも高度な認識力に目覚めたときに解決できるようになります。そのために、ほかの人に相談をしたり、インターネットで調べたり、本を読んだりします。しかし、それでも解決できないことがあります。それはどんなときでしょうか?
 まず自分自身が何に悩んでいるのか、わかっていないときです。かなり昔ですが、診療でこのようなことがありました。その方は「頭痛」「めまい」「動悸」といった症状に困っているということで受診されました。ただ私はそのことを直接に訊くのではなく、「今日はどのようなことにお困りですか?」と訊ねました。そうすると、その症状のことではなく、心の悩みを話し始められたのです。「頭痛」「めまい」「動悸」といった問題はどうなのかなと思いながらも、お話に耳を傾け、共感し、助言などをさせていただいたところ、何か解放されたかのように「なるほど。よくわかりました。今日はありがとうございました」と言って帰られてしまいました。結局、最初に問診表に困っていると書かれた症状のお話は全くなく帰られてしまったんです。この方はきっと心の悩みがあって体調不良をきたし、体調不良になったことで病院を受診されたのだと思います。しかし、本当の悩みは体調不良ではなかったんですね。心の悩みこそが本当の悩みだったんです。こうしたことってよくあります。自分の頭で考えていることが悩みの本質ではなく、本当に悩んでいることが別のことであるとき、まずはそれに気づくことが大事です。こんなときは悩んでいることをノートに書いてみるといいかもしれません。客観的に自分を見つめることができて、悩みの本質にたどり着きやすくなります。

 ほかに悩みが解決できないときって、どんなときでしょうか。とてもおかしく思うかもしれませんが、それはその本人が悩みを解決しようとしていないときです。解決したくないと言えば語弊があるかもしれませんが、その人の中で悩みを解決することよりも優先することがあるときです。例えば、いくらこうするとうまくいくよということを教えてもらっても、これまでの自分の考え方にこだわって行動を変えようとしない人がいます。要するに、こうした人たちは悩んでいるのは確かなのですが、これまでの自分のやり方を変えてまで何とかしたいという気持ちはなく、何か宝くじでも当たって(他力本願で)悩みが解決すればいいのにと思っているんですね。そうでない場合には、悩みながらもそのぬるま湯に浸り続ける方を選ぶのです。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という作品にもあるように、お釈迦様が地獄の住人に蜘蛛の糸を垂らして救いの機会を与えても、その住人の心が(この物語においては無慈悲な心のままで)変わることがなければ、糸が切れてまた地獄に落ち、地獄で暮らし続けることになります。

 悩みの答えとはひとつではなく、人によって千差万別です。相談を受けた人からするとこうかなと思っても、その人にはその人ならではの答えがあります。それはここまでお話したことを振り返ってみてもわかりますね。いろいろと助言をしてもなかなか腑に落ちない感じなのに、ある助言で急に表情が明るくなって、その人の気持ちが軽くなることがあります。それはその人の中に実は自分なりの答えがあって、こちらの助言がその答えと合致するとその人の気持ちが軽くなるんです。
 本当は自分の中に答えがあるのだけれども、自分で気がつくことができない。それが悩んでいる状態です。その答えに気がついたとき、人は学び、認識力が高まります。そう考えると、悩みというのは自分の魂を成長させてくれる心の問題集なのかもしれませんね。

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