人の悩みの相談を受けていると、しばしば限界を感じることがあります。少しでも役に立ちたいなあと思っているんだけれども、話を聞いて寄り添うしかできない。まあそれでも十分なのですが、できれば、肩の荷を下ろして元気になってほしいのにそれができない。
その理由はいくつかあります。まず当然ですが、悩みはその人の問題です。人生というマラソンを走っているのはその人自身です。代わりに走って解決してあげることはできません。できるのは、寄り添って気持ちを軽くすることや、助言をすることだけです。ただその寄り添い方や助言の仕方は、人によってかなりの差があります。ある人に相談をしても何も得られなかったり、逆に、イライラしたりするだけだったのが、別の人に相談をするととても気持ちが軽くなったり、前向きになれたりすることがあります。それはなぜでしょうか?
私自身いろいろな人の相談に乗ってきて思うのですが、医者になった頃は「その人の何が問題なのか、何が原因なのか」を必死で考えて、助言をしていました。しかし、その人の問題点に気がついて助言をしてもその人の表情は晴れずに何も変わらない。仏教には「迷いの状態や困難な状態に陥ったときに、一変して悟りをひらかせるほどの一つの語句」という意味で「一転語」という言葉がありますが、心理学や哲学などの本を読んで知り得たすばらしい言葉を相手に伝え、ガラッと人生を変えてもらえればなどと思っていました。しかし、机上の言葉では「一転語」となることは決してありませんでした。言葉というのは頭で理解しているだけの知識レベルの言葉では相手に頭でわかってもらっても、心にはなかなか伝わりません。ひとつの言葉の意味を深く深く考えて自分のものとするか、経験を通して体得した智慧レベルの言葉になって初めて相手の心に伝わるものです。私自身もあるとき、ふとこうしたことに気がついたんですね。要するに、悩み相談で相手の役に立てないのは相手の問題もあるだろうけれども、実は自分自身の問題ではないかと。自分の認識力の問題ではないかと思ったわけです。自分自身の心のあり方を見つめる修練の不足、自分の課題をいくつも乗り越えた経験不足。すなわち、自分自身で乗り越えられていない問題を頭で得た知識だけで人に助言をしたって何の役にも立たない。自分自身が修練や経験を通して認識力を高めて初めて相手の心に響くような言葉を投げかけられるのではないか。そうしたことに気がついたわけです。
そのきっかけになったのは10代の精神状態が悪く、次々と問題行動を起こしていた患者様の治療にかかわっていたときです。いろいろと試みるも上手くいかず、どのようにかかわればいいのかわからなくなったときにふとかかわっている自分自身に問題があるのではないだろうかと思い、視点を変えてみたんです。自分の思いを見つめ直すと「自分はこの子がよくなることを信じられているだろうか」「実は良くなるなんて思っていないのではないか」ということに気がつきました。そのことに気づいた私はその子がよくなっている姿を心にイメージしてみました。すると、いくらイメージしようとしても悪いイメージしか浮かばない。自分でも驚きましたが、よくなることを信じられない人がかかわってもよくならないのは当たり前でしょう。そこで私は3日3晩良くなっている姿をイメージすることを試みたところ、4日目の夜になってようやく良くなる姿をイメージできるようになりました。すると不思議なことが起こったのです。その良くなった姿を信じられるようになった自分がその子に向かって言葉を発すると、今までには全くなかった素直さを見せ始め、そこから劇的に良くなっていったのです。まさにその子の心の問題は、かかわる私自身の心の合わせ鏡だったことを教えてもらいました。そして、私自身が人の本質と可能性をどのように見ているのかという認識において、未熟な面があったことに気づかされました。これは勉強するだけでは身につけられず、こうした経験を通じてこそ体得できた認識力だったと思います。
もう一点、かかわる人が振り返るべき自分のあり方として、自分の心の波動がどうなのかという視点があります。例えば、自分が落ち込んでいれば、相談に乗るよりも逆に心配されてしまうかもしれません。自分がイライラしていれば、相談に来てくれた人にもきつく接してしまって「相談するんじゃなかった」と思わせてしまうかもしれません。少し極端な例をあげましたが、かかわる人の心の持ち方はそのままかかわりの限界になります。例えば、自分が悲観的で、重く深刻に考えるような波動を出していれば、深刻に悩んでいる人の心を軽くすることはできないでしょう。できれば、常日頃から自分の心が穏やかであるように心がけ、思いやる優しさを意識し、明るく、軽やかな波動を出していれば、きっとかかわる相手の人の心も軽くなりやすいのではないかと思います。
このようにかかわる人の認識力と心の波動が高くなればなるほど、悩み相談に来た人が救われるようになっていくのではないかと思います。悩み相談の限界は相談を持ちかけてきた人の心の状態にもよりますが、それだけではなく、かかわる人自身の認識力と心の波動にもあるのではないかと省みることができれば、それが限界突破のきっかけになるかもしれません。
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