コラム

悩んでいる人にどこまでかかわりますか?

 人は何か悩みを抱えているとき、もしあなたがやさしい人であれば、もしあなたが面倒見のいい人であれば、あるいは、頼りがいのある人であれば、きっとあなたに相談されるのではないかと思います。そうすると、あなたはその相談に乗ってあげるんじゃないかなって思います。 ただ相談に乗るのは、意外に難しいものです。相手の人に「話を聞いてもらって気持ちが楽になった」「助言してもらったことをやってみようと思う」と言ってもらえると、相談に乗って良かったと思えるでしょう。しかし、相談に乗ってもなかなか相手の気持ちを楽にしてあげられないこともあります。そんなとき、あなたはその悩んでいる人にどこまでかかわりますか?

 まず相手が何度も繰り返し相談に乗ってほしいと連絡してくる場合です。そんなとき、もちろん毎回、話を聞いてあげるのもいいのですが、いつも同じような話ばかりされるとどうすればいいんだろうって思うことはありませんか。しかも、しばしば連絡があるので自分の時間をとられてしまってなかなか自分のことができない。あるいは、話を聞いた後はぐったりと疲れてしまう。そんなことはありませんか?実はこうした人はこちらのエネルギーを奪っているんです。エネルギーを奪う人って、基本的にこちらの話すことをほとんど聞いていません。その人の考え方にずれているところがあって悩んでいるんだなとわかるので、本人の考えていることと違った助言をしても、全然聞いていなくて、深層心理では、自分の考え方は変えないままに悩みが解決する方法はないだろうかと思っているんですね。普通に考えて、そんないい方法なんてありません。ですから、答えのない相談を何度してこられても、ただこちらのエネルギーが奪われていくだけなのです。話を聞くことに限界設定をしないと、こちらの方が参ってしまいます。言い換えるなら、その人が沼でおぼれていて「助けて!」と言われるので手を差し伸べると、そのまま引っ張られて沼に引きずり込まれ、こちらまでおぼれてしまうようなものです。

 それでも、「その人がかわいそうなので放っておけない」と思ってかかわり続ける人もいます。一方、こうしたことに気がついて、その人とのかかわりに距離をとる人もいます。これを単純に見ると、放っておけないと思ってかかわる人はやさしく、距離をとる人は冷たいように見えます。果たしてそうなのでしょうか?このかかわり方の違いは、その人のやさしさの違いというよりは、その人が精神的に自立しているかどうかの違いのような気がします。昔、働いていた職場に患者様の話をよく聞かれる看護師がいたのですが、よく見ていると必要以上に患者様の話を聞こうとしているんですね。患者様が「大丈夫です」と言っていても、「本当はしんどいんじゃないの?」「無理しているんじゃないの?」「話したいことがあったら話してくれていいのよ」と言われるんですね。確かに自己開示してあまり話すことができない人には、そのように聞いてあげることが必要かもしれません。しかし、本当に「大丈夫です」と言っているのに、「何か問題があるんじゃないか」って聞かれると、患者様も何となくしんどくなります。こんなふうに必要以上に相手の悩みを引き出そうとするのは、相手のためにふるまっているように見えるけれども、実は自分のためなんです。その人自身の中に何か満たされない課題があり、その課題を悩んでいる相手の中に見て、その相手を癒そうとしている。要するに、相手を癒しながら、自分を癒しているんですね。ただこの方法で自分が癒されることはありません。だから、悩んでいる人がいれば自ら近づいて相談に乗り、そこに自分のアイデンティティを見出して自分を癒そうとするんです。一方、精神的に自立している人は、自分で自分を癒し、自分を認めているので、心の中は十分な愛で満たされています。ですから、人に対して決して冷たいわけではなく、その奥には愛の心があります。ただ必要以上には関わろうとしません。自分にできることはするけれども、自分にできないことまでしようとはしない。自分の人生と他人の人生を同一化することはしないんですね。私の知る限り、人の救済に身を投じた歴史上の偉人らが悩んでいる人につきっきりで相談に乗っているようなエピソードはあまり聞いたことがなく、困った人がいれば寄り添うけれども、必要な援助をすればその場を離れ、後はその人の判断に委ねるといったスタンスをとられているように思います。それが精神的に自立した人のかかわり方ではないかと思います。

 人生には、人それぞれに何らかの課題とそこから得られる学びがあります。そして、その課題は人に解決してもらっても学びにはならず、自分で解かないと本当の学びにはなりません。不思議と自分で解決していない課題はその後の人生でまた違った形で表れ、向き合わざるを得なくなるものです。ですから、悩んでいる人とかかわるときには縁あって出会った自分ができることはしてあげても、その人はこの人生で何かを学ぼうとしているんだということを理解して、それ以上に深入りをしないことだと思います。その人自身の学びと自立を妨げないことです。にもかかわらず、深入りしてしまう場合は相手のことを思っているように見えて、実は自分のためにやっていることもあるということです。 

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