コラム

摂食障害治療のジレンマ

2013年11月23日

摂食障害治療の最大の難しさは、そのジレンマにあります。

どんな世界にも例外はあると思いますが、ほとんどの治療者は患者様に優しく接したいと思っていると思います。
しかし、それがままならないのが摂食障害の治療です。
そこに摂食障害にかかわる治療者のジレンマがあります。

摂食障害の人の中には「本当の自己」と「偽りの自己」、「病気の自己」という3つの自己があります。
「本当の自己」に目覚めた人であれば、極めて健全な普通のコミュニケーションをとることができます。
ところが、重症の摂食障害の人では「本当の自己」が心の奥に隠れ、その人格は「偽りの自己」や「病気の自己」に覆われてしまっています。
すると、常に「病気の自己」に基づく言動をとるようになります。

例えば、拒食症の人の治療ではその命を守るためにも何としても一定量の食事を摂取してもらわなくてはなりません。
しかし、「病気の自己」は治療者と交渉して何とか食事量を少なくして、カロリーを下げようとしてきます。
あるいは、診察場面では「はい。わかりました」と答えさせておいて、家に帰れば食べない、食べたふりをして食事を捨ててしまうなどの行動をとらせます。
そして、次の診察では「頑張って食べました」と嘘をつくことがあります。
あるいは、課題とされた食事量を食べていなくても「以前に比べると食べられました」と言って、「だから、それを認めて下さい」といった気持ちを訴えてくることがあります。

そんなとき、治療者が優しく「それはよかったね。では、次も頑張りましょうね」などと言うだけであれば、摂食障害を治せる可能性はほとんどないと言っていいと思います。
なぜなら、治療者のその優しさは、“相手を偽り、課題の一部を実行しただけで良しとしてもらい、その課題から逃げようとする病気の自己”を甘えさせているだけだからです。
それは真なる優しさではありません。
治療者が愚かで病気の本質を見抜いていないのか、あるいは、わかっていてそのような対応をするのであれば、治療者自身がいい顔をしたいために逃げているのです。

もちろん、摂食障害の人の心の奥には「本当の自己」があり、その「本当の自己」に対する優しさというものはとても重要です。
しかし、摂食障害の治療において表面的な優しさは、その人の中にある「病気の自己」に利用されてしまうのです。
その目先の優しさがその人を決して救えない地獄への道に導くことになるのです。
地獄とは死であり、永遠に治ることのない状態に陥ることです。

よって、本当にその人の存在そのものを思う治療者は決して、摂食障害の人の中にある「病気の自己」に妥協できません。
表面的な優しさを超えた厳しいかかわりをしなければならなくなるのです。
その姿勢は「病気の自己」に支配された摂食障害の人から見れば、鬼のように見えるかもしれません。
治療者は嫌がられ、場合によっては憎まれます。
優しくしていい関係を築きたいのに、厳しくせざるを得ず嫌がられ、憎まれてしまう。
ここに治療者のジレンマがあるのです。

私自身も振り返ると、「先生は鬼やった。でも、その鬼に治してもらった」などと言われたこともあります。
ときには初診のときに厳しく話すその姿勢に、「優しい言葉をかけてもらえると思ってきたのに…」と摂食障害の人のご両親から批判の言葉を受けたこともあります。
私も本当は優しい言葉をかけたいのです。
医者としての自己保身を考えるなら、優しい言葉をかけていれさえすれば非難を受けることなどないでしょう。
しかし、いずれわかるのです。
それだけでは、いつまで経っても治らないということを…。

摂食障害は人生に影響を与える病気です。
そのことを思うなら、治療者としてのジレンマを抱えながらも、自己保身の気持ちに打ち勝ち、「病気の自己」に対しては厳しいかかわりをすることが必要なのです。

こんなお話ばかりしていると厳しいだけの医者かなと思われるかもしれませんね。
きっとそんなことはないと思います。
神戸に開業したときにも滋賀から多くの摂食障害の人がついてきてくださり、また、全国からも通院してくださったりしています。
今もよくなった人たちが手紙を下さったり、訪ねてきてくださったりします。
そんな時は「よく私の思いを理解してくれてついてきてくれたね」と思い、とても幸せな気持ちになります。
だから、またジレンマを抱えながらも、次のひとりに賭けて治療に臨みたくなるのです。


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療