コラム

自分軸で生きることの難しさ

 多くの人を見ていると、その人の生き方が自分軸か、他人軸かということは生まれ持った気質と育てられた環境によって決まってくる場合が多いのかなという気がします。自分軸ができている人は自分の中に確固たる価値観や人生の目標や使命感などがあって、それに基づいて生きているように思います。ですから、表面的には揺れるように見えることがあったとしても、心の芯まで揺れることはなかなかありません。それは他人軸で生きている人からするとうらやましく思えることかもしれません。しかし、実際には他人軸で生きている人が自分軸に変えようとしてもなかなか難しいことではないかと思います。

 そこで改めて、他人軸で生きている人というのはどういう人たちなのか振り返ってみたいと思います。例えば、常に他の人からの保証を求めずにはいられない人です。小さい頃から常に親の期待に応えんとして、親の顔色をうかがってきたような人はなかなかその習性から抜け出せません。親の機嫌が悪くなると不安になってしまうので、機嫌をとろうとしていつも「いい子」でいようとします。そうですね。この場合、親の機嫌に自分の行動軸があるので自分の本当の思いを抑圧するようになり、それがいずれ苦しみとなって様々な弊害を起こすようになります。

 あるいは、男女関係で相手に常に完璧な行動を求める人ですね。この場合、実は本人の中に空虚感や何か欠けているものがあるのだけれども、それを自分で埋めることができず、代わりに相手に求めるんですね。自分のことを愛せなくて満たされないものを相手に求めて何度も何度も愛情確認をする。それに答えてもらえる間は一時的に自分の気持ちも満たされて落ち着くのですが、一度でもそれに答えてもらえないと「なぜ答えてくれないのか」「なぜ自分を不安にさせるような行動をするのか」と異常なまでに感情を爆発させて相手を攻撃してしまう。この場合も相手が完璧な愛情を示してくれるかどうかという他人軸であるので、本人の心が安らぐことはありません。

 またすぐにイライラしたり、怒ったりする人ですね。これは一見自分本位に見えるかもしれませんが、結局のところ、他人の言動に一喜一憂してイライラしたり、怒ったりしているわけです。「あいつのせいで…」「あいつさえいなければ…」と言って怒るのでしょう?「あいつ」、すなわち他人が自分の思い通りの言動をとってくれないことに気持ちが振り回されています。ですから、やはり他人軸に基づく生き方になっているのです。

 損得勘定の強い人も他人軸かもしれませんね。相手よりも損をしたくない、得をしたいなど相手と比較していること自体が他人軸ですね。自分軸の人だって無駄に損をするような行動はしませんが、人と比較するのではなく自分が納得できていればそれでよしとするとか、相手との関係があるときには相手が喜んでいるのであればいいと思って、損得勘定から見れば損になるようなことであっても気にかけないところがあります。

 このように見ると、他人軸で生きている人たちはそれゆえに心が揺れ、自分を見失い、不安定な気持ちになっても、他人の言動に意識があるのでそれに気づくことさえ難しいのです。ましてや、自分軸に変えることはさらに難しいのではないかと思います。それでも自分軸で生きたいと思うのであれば、今の自分の環境を受け入れ、ありのままの自分を認め、肯定するように心がけるのが良いのではないかと前回のエッセイでは話しました。ただこれだけでは言葉足らずなところがあり、難しかったかもしれません。ですから今回はどのようにすればいいかということをもう少し違った角度からお話したいと思います。

 自分軸を確立した人は自分の心の内から湧き上がる興味や関心、情熱などをはっきりと自分で感じとることができているので、それに基づいて生きています。しかし、他人軸の人は他人の言動に反応して生きることに軸があるので、実は自分が何を求めているのかが自分でもわかっていません。ただ一つ言えるのは、先に述べたいくつかの例からもわかるようにすべて人からの愛を求めて行動しています。人からの愛がほしくて他人軸になっているのです。誰でも人からの愛や保証って本当にほしいですよね。それはおそらく人間の本質でしょうからどうしようもないことだと思います。ただそれに執着し過ぎるとおかしくなります。人が自分に愛をくれるのは当然だと考えるようになると、現実には他人がいつも自分の思うような形で愛をくれるということはありませんから、感情がぶれるようになります。愛がほしいという気持ちは自然なことなので構いませんが、愛をもらうことはご褒美としてとらえ、愛をもらうことを当然のように考えるのはやめようと心がけるといいのではないかと思います。その代わりに、自分自身が自分を認め、愛することを心がけ、さらに人に対してもいかにして少しでも親切に、愛を与えていけるかということを考え続けていると、自然と自分軸ができてくるのではないかと思います。だってそうでしょう?自分が主体性を持って、自分に愛を与え、人に愛を与えることだけを考えているのですから、それは自分軸で生きていることになります。またそうした生き方をしていると逆説的ですが、他人軸で生きていたときに求めていた人からの愛というご褒美もより一層増えてくるのではないかと思います。

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