コラム

【摂食障害】若き医者としての挫折

2013年11月11日

若き医者としての挫折

大学病院で摂食障害の治療に先の見えなかった私が、次の総合病院で与えられた役割は「思春期外来をやりなさい」というものでした。
未来を担う思春期の子どもの心を支える治療は興味深いものでしたが、思春期医療の主たる病のひとつに摂食障害がありました。
はたして先の見えないまま、私は再び摂食障害の治療に携わることになったのです。

その病院では、上司である先生方から「先生の思う通りに自由にやればいいよ」と言われていました。
その言葉は、自由にさせてもらい、ありがたいようではありますが、実力のない医師にとっては厳しいものがあります。
ほとんど全くわからなかったわけですから、助言や指導をしてほしいのが本音でしたが、上司である先生方も摂食障害の治療に関してはあまりご存じではなかったようなので、止むを得なかったのかもしれません。

そんな私のもとに20才前後のある拒食症の子が訪れました。
診察時にはいつも、つば広帽子をかぶってこられる工藤静香に似た女の子でした。

私のもとに治療を求めてこられたその子に対して、私自身も摂食障害の本を読んだりしながら、自分の思いつく限りの治療を試みました。
しかし、何を話し、何を試みようとも “暖簾(のれん)に腕押し”で通じません。
なぜかその子は私を慕って通院してくれていましたが、一向に改善に向かって導くことはできませんでした。

今、考えれば当然です。
摂食障害の人に対して、そんな思いついたから試みるといった治療が通じるはずなどありません。
摂食障害の病理を知り、その子の心の奥にある本当の問題を見つめ、さらにその奥にあるダイヤモンドの心を信じ、そして、決してあきらめない。
そんな治療の中でしか突破できないのが摂食障害であり、中でもこうした重症の拒食症の人の場合には特にそうです。

その子と関わり、1年あまりの月日を経た頃だったでしょうか?
私は医師として初めて、治療をギブアップしました。
一生懸命に通い続けてくれていたその子に対して、
「今まで僕なりに考えられる治療をやってきたけれど、これ以上、僕には治す方法はわからない。
だから、通院してもらっても仕方ないと思う」
そのように話しました。

すると、その子はさびしく、悲しそうな目をして、
「わかりました」
と言い、それが最後の診察となりました。

今思い出しても、涙が出そうになります。
その子に対しては、本当に申し訳なかったと思いますし、私自身、悔いがあります。
若き医者としての大きな挫折でした。
しかし、この挫折への懺悔の意識が、その後の私に向上し続けようとする意識をもたらし、決してあきらめない医療に挑戦する意識をもたらしたのも事実です。

拒食症というのは、本当に大変な病気です。
ガンよりも治すのが難しいのではないかとさえ思います。
私の友人の医師でも
「拒食症だけはもう二度と診たくない」
という医師がいます。
心の医療に携わる医師は、真剣に拒食症の子の気持ちを思い、その人生を思うなら、自分の感性で助言や指導をするような安易な治療が通用するはずがないことを認識しなくてはなりません。
この子との治療を通じて、私自身もそうしたことを強く認識させられました。

そんな私でしたが、その後、再び摂食障害の人たちと向き合うときが来るのです。

 


本当の自分に目覚め、幸せに生きるダイヤモンドの心の医療