コラム

2013年11月11日

回復の兆候②

回復の兆候は言動、すなわち、言葉と行動にも表れます。

言葉と行動の何を見るのでしょう?
それは
「『本当の自己』に基づく言葉や行動があるかどうか」
ということです。

以前、ある思春期の女の子が
「あの父親のせいで、私はこんなふうになったんだ。
だから、憎くて憎くて仕方がない」
というようなことを言っていました。
何を言ってもなかなか人の言うことを聞かないような女の子だったのですが、その女の子が治療を通じて徐々に変わっていく中で
「最近、私、何か変なんですよ。
お父さんに感謝みたいな気持ちが出てきて、この前は一緒に回転寿司に行ったんですよ。
おかしいんですよ」
と語ったのです。
その女の子の口から「感謝」というような言葉が出てくるとは思いもしませんでしたから、驚きです。

そうなんです。
この「感謝」という言葉は、その女の子が持っている本当の自己に基づく思いなんですね。
つまり、憎しみや怒り、落ち込みや絶望といった偽りの自己に満ちていた彼女の心の中に、本当の自己が芽生え始めたんです。

こうなってくると本人には、その本当の自己の言動の価値を認識させることが大切です。
「すごいなあ。
親に感謝の気持ちを持てるようになったなんてね。
そうした心を持てるようになってきたのであれば、必ず良くなっていくよ」
本当の自己の言動の価値に気付くと、これまで暗闇の中でさまよっていた人が灯台の光を見つけたかのように、本当の自己に目覚めんと進み始めます。
すなわち、回復し始めるのです。

こうした回復の兆候を見逃してはなりません。
もし、こうした兆候を見極める視点を知らなければ、ようやく出てきた回復の芽を摘み取ってしまうこともあります。
実際、そうしたことは多いですよね。

回復の兆候とは、

「目と表情に光が差し込んできたかどうか」

「『本当の自己』に基づく言葉や行動があるかどうか」

この2点が見極めのポイントだと思います。

 


2013年11月11日

回復の兆候①

心の回復の兆候はどのようにつかむのか?

一般的には、問題行動や症状がなくなれば、よくなっていると見るでしょう。
しかし、いつも話すように目先の問題行動や症状だけを見ていると、その子どもの真の姿を見ることはできません。
問題行動や症状がなくなったと思っても、一時的なものであったり、親の前だけでいい子を演じていたりすることがありますからね。

心の回復の兆候をつかむには、
『いつもその子どもの目と表情を見つめる』
ことです。

私も初めて会う方の場合、よくわからないことがありますが、何度か通院していただいていると、その方の目と表情、声の抑揚などで今の調子が見えるようになってきます。
「何となく表情が和らいできたなあ」
「明らかに表情がすっきりとしてきたんじゃないかな」
「声に張りが出てきたな」
こうした感覚でつかむ情報は、科学的には客観性に欠けているように見えますが、何よりも確実です。

例えば、拒食症の方が「きちんとご飯を食べて頑張ってきた」などと言っても、表情が乏しく、その目が死んだような感じになっていれば、何かごまかしている可能性もあるし、頑張っていたとしても行き詰まるのは時間の問題です。
目先の問題だけを見て、「ご飯を食べて、もっと体重を増やすように」などと心がしぼむような言葉かけをしていては意味がありません。
心に伝わっていませんからね。
心に響くような言葉かけこそが必要であり、もし心に響いたなら、相手の目や表情には必ず何か明らかな変化が見えるものです。

いつも目や表情に光が差し込んだかどうかを見ることです。
意外に人は、相手の顔を見ていませんからね。
医者であっても、パソコンばかりを見て、全然、患者様の顔を見ていないってことがありますからね。
それでは、相手の真の姿は見えません。

もし、目や表情に光が差し込んできたことを感じとったなら、その感じとったことは相手に伝えてあげるのがいいと思います。
「表情が明るくなってきたね。
本当によくなってきたと思うよ」
「目がしっかりとしてきたね。
そうした目をすることができるなら、きっともっともっとよくなってくるよ」
このようにフィードバックしてあげると、その相手の心には安心感と自身が芽生えてきます。
そうして、さらに回復が促進していきます。
これは思春期の子どもの話をしていますが、大人の方であっても同じです。

 


2013年11月11日

回復をあせらない

「あせらないようにね」

こうした助言を受けてもわかったようで、わからないものです。
なぜなら、「あせらないように」という助言はとても抽象的だからなんですね。

ここでいう「回復をあせらない」とは具体的には、
「回復過程は『3歩進んで2歩戻る』というペースで進むものと知る」
ことです。

心の問題や病気というのは、「良くなり始めて、そのまま良くなる」ということは滅多にありません。
良くなりかかっても、また病気の症状が出る、問題行動を起こすのが普通です。
プラスの方向に進もうとしても、それまでにずっとマイナスの方向に進んでいたためにマイナスの方向に進もうとする慣性の法則が働いて、再びマイナスの症状や問題行動が出てくるんです。

このことを知らないと、しばしば絶望してしまいますね。
「また、症状や問題行動が出てきたの。
やっぱり治ってないんじゃないの」
と。

しかし、回復過程が『3歩進んで2歩戻る』というペースで進むということを知っていれば、そのように絶望することはありません。
「まあ、そんなものだろう。
ある意味、予想通り。
それよりも、少しでもプラスの方向に進むことができたということはそれだけ力が回復してきたということなんだ。
逆戻りしたことに、絶望さえしなければいい。
そうすれば、必ずまたプラスの方向に進み始める」
そのように考えることができます。
その結果、実際に3歩進んで2歩戻りながらも、また進み始め、1歩1歩進むことができるようになるのです。

だから、子どもに良くなる兆しが見えたときに、親は一緒になって大喜びするだけであってはいけません。
また、「良くなってきたんだから、さらにもっと頑張ってね」と煽(あお)ってプレッシャーをかけてもいけません。

良くなる兆しが見えたことに喜びながらも、
「よくなるときは『3歩進んで2歩戻る』というペースで進むものなんだ。
だから、無理せずに自分のペースでやっていけばいいんだよ」
という助言を与えてあげることが大切です。

この助言は、“子どもの心にとっての保険”なんですね。
これによって、子どもの心のプレッシャーは解き放たれ、より主体性を持って前に進むことができます。
すると、3歩進んで2歩戻るところが、1歩でとどまることもしばしばとなります。
こうして、ますます順調な回復を期待できるようになるのです。

順調な回復を期待するには、一緒になって大喜びしたり、さらに煽(あお)ったりしてはいけません。
逆に、あせらずに、『3歩進んで2歩戻る』というペースで進むものだと知って関わるのがいいのです。

 


2013年11月11日

問題の幹と枝を分ける②

子どもが問題を起こすときには、しばしばひとつだけではありません。
同時に、いろいろな問題を起こすものです。

例えば、学校に行かない、過呼吸を起こす、頭痛や動悸がある、家の中で暴れる、頭を壁にぶつけたり、リストカットするなどの自傷行為をする、「死にたい」と言う、昼間はずっと暗い部屋の中で寝ている、過食と嘔吐をする、昼夜逆転した生活をしている、夜中にずっと携帯やスマホをいじっている…などなど。
ひとりの子どもが、数多くの問題を引き起こします。

見方によっては、これらの問題はどれをとっても問題でしょう。
どれも何とかしなければなりません。

しかし、これだけ多くの問題を引き起こしているとき、その問題のひとつひとつに対して全部を対処しようとしてはなりません。
どれをとっても問題でしょうが、ある意味、これらの表面に表れた問題は氷山の一角であり、枝葉の問題です。
いくらそれらの問題だけを見て対処しようとしても、問題は解決しないものです。

仮にひとつの問題がなくなったとしても、根源にある問題が解決されなければ、また別の問題が出てくるだけです。
木で言えば、幹や根の部分の問題に関わらなければ、焼け石に水なのです。

ですから、これら枝葉の問題に対してはいずれ解決しなければなりませんが、たくさんの問題を抱えているときには、『半分目をつむる』ことがとても大切なのです。
目をつむるとは、“見逃しておいてあげる”ということです。
昼夜逆転していようが、夜中に携帯やスマホをしていようが、それらに対して賛成はしていないというメッセージだけを伝えて、それ以上は何も言わないでおくということです。

「では、放っておけということですか?」というご質問をいただきそうですね。
そうではありません。
こうしたたくさんの問題を抱えた子どもに対しては関わる場合、幹となる部分はどこなのか、その幹の部分に対してはどのようにアプローチすればいいのかというその一点に集中することが必要なのです。

幹というのは、その子どもの心の部分です。
「その子どもに安心感があるだろうか?」
「その子どもに主体性の芽は出てきているだろうか?」
何度も述べているように、問題行動の裏にある心の部分に目を向けることなのです。

例えば、本人の話を聞きながらしんどそうであれば、「いろいろあるけれど、今はゆっくりしていていいよ」と言ってあげることかもしれません。
何かほめられることがあれば「そうか、それはすごくいいことだね」と評価してあげることかもしれません。
そして、問題行動の中でも命に関わる行為であったり、他害行為であったり、どうしても認められない行動があったとしたら、その行動にだけは厳しく叱ってあげることも必要です。
そうした幹に関わる部分の1点に集中して関わることが大切なのです。

みなさんだってそうでしょう?
自分に問題があったとしても、「あそこもダメ」「ここもダメ」とダメ出しばかりされていると、うんざりしてしまいませんか?
あるいは、落ち込んで投げやりになってしまうかもしれませんね。
子どもだって同じです。

それよりも、そうした問題行動があってもなお自分のことを受け入れてくれている。
きっといろいろなことがわかっていても目をつむってくれている。
こうした細かな枝葉の問題は指摘せずに受け入れてくれているという部分。
そして、決して放置しているのではなく、その一方で、幹の部分に対しては真剣に関わってくれる部分。
こうしたメリハリの利いたバランスの中で、こちらの語りかける言葉は子どもの心に入っていくのです。

子どもという木を育てるときには、盆栽のように親が細かな枝葉まで整えるものではないように思います。
まず、幹と枝葉の部分を見極める。
そして、幹の部分に集中して、幹を育てるように働きかけるんです。
そうすると、問題のあった枝葉はいずれ落ちて、新たな枝葉が伸びてきます。
そのようにして、子どもは成長していくものだと思います。

 


2013年11月11日

問題の幹と枝を分ける①

人は幼い頃から、常に何かを学びながら成長しています。
その場合、人を観察することで学ぶということもありますが、人に教えてもらいながら学ぶというのが一般的ではないかと思います。
ただ教わるという場合、“どのように教えてもらうか”ということによってどれだけ学び、どれだけ成長できるかには大きな差があるのではないかなと思います。

例えば、スポーツなどの場合、そのスポーツに応じた基本的なフォームを指導してもらい、その後はコーチなどの指導者に気がついたミスを指摘してもらいながら修正するといった形で教わります。
しかし、こうした教わり方で練習をするだけでは、多くの人は平均レベルになるのが精一杯で、それ以上はうまくならないんじゃないかなと思うのです。

もちろんですね、運動神経が良くて感覚的に物事をとらえる人は、体の感覚で本能的にポイントをつかむことができるので、こうした指導だけでもうまくなることがあります。
しかし、私のように頭で理論的に理解してからでなければ行動に移せない人間にとっては、こうした指導だけではとても厳しいものがあります。
本当にいつまでたってもなかなかうまくならないですね。

私の場合、ゴルフを始めた頃、ドライバーで打つと250~300ヤードくらい飛んでいました。
そのため、周囲の人からは「すごく飛ぶなあ」とほめてもらっていたのですが、つい飛ばすことばかりを意識してしまうようになりました。
下手な人が飛ばすことばかり意識すると、上半身に力が入り過ぎてスライスします。
その結果、たくさんのOBを出してしまい、ラウンドを終えるといつも惨憺たるスコアになっていました。

そうした問題を直すためにレッスンでは、手の使い方、体の使い方などをいろいろと細かく教えてもらいました。
教えてもらうとそのときはたまにいいボールを打てます。
しかし、すぐにわからなくなってしまいます。
要するに、細かな指導をあれもこれもと意識すると、結局、フォーム全体としてはバラバラになってしまうのですね。
だから、いつになっても自分の中で軸となる考え方を身につけることができず、しっくりときませんでした。

それがあるときに、「スイングするときには軸をずらさず、腕ではなく、左足に重心を乗せることだけを意識して打つように」ということを教わり、ただそれだけを実践するようにしました。
すると、足に意識をもっていくことで、意識することなく自然と腕の力が抜けるようになり、急にボールがまっすぐに飛び始めたのです。
私にとって、ゴルフのフォームをマスターする上で、問題の幹に対する指導とは、「軸をずらさず、足に意識を持っていく」ということだったんですね。

問題の幹が修正されると、その他に山積されていた枝葉の問題の大部分は自然と解決していきます。
そして、残った枝葉の問題もその修正に取り組むと、今まで以上に成果が出るようになります。

問題には必ず幹となる部分と枝の部分があります。
まずは、その幹の部分を見抜くこと。
そして、幹の部分を修正できれば、他の枝葉の問題は大部分が自ずと消えていきます。

人を教え導くときにはこうしたことを知らなくては、いくら一生懸命に枝葉の部分にばかり指導をしてもうまくいかないことがあります。

人を教えるときに重要なのは、
『問題を幹と枝を分け、まずは問題の幹だけに集中して教え導く』
ということなんですね。

 


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